第6回「映画」終了しました。

♥戸井案
shu-mae-6とい
開口部を通して自分の生活の痕跡を確認することで、若干の陶酔感を得ることを表現した。平面的には全く同じ部屋が並んでおり、住人は2つの部屋を交互に使用する。恣意的に投げ出されたモノや家具の配置が開口部を通して小道具や大道具に映り込むことが想像できる。

江塚案
shu-mae-6江塚
映画館の座席に着目し、フラットではなく、斜面の床で住宅を構成するという案。座席に相当する部分を、fixのイスやテーブルとして扱う。

渡辺R案
shu-mae-6わたなべr
「建築は日常であり、映画は非日常的な感覚を与える」という観念に疑問をもち、建築に非日常感を持ち込んだ案。ここでは「スリル」という感覚に着目し、雲の上に建っている住宅を想定した。

神田案
shu-mae-6神田
建築、およびその内部の空間で織りなされる生活を一つの映画としてみた時、住人は役者である。神田案では、住人自身がその「演技」を意識する事によって、ナルシスティックな気分に浸る事が重要である、と説いた。

増山案
shu-mae-6ましやま
映画には3つのエッセンスがある。すなわち「スジ・ヌケ・ドウサ」(脚本 映像美 役者)である。それは住宅にも同じようなことが言える。生活そのものがストーリーであり、開口部から除く風景が映像美、そして住人が役者である。

渡辺h案
shu-mae-6渡辺
映画とは、シーンを見せる装置である。そのシーンは、スクリーンという無機質なモノの上に投影される、美しく編集された情景である。渡辺案では、予めシーンを想定して限られた開口部を開けることで、その風景があたかも編集されたようにうつり、特別なものとして受け取れるのではないか、と表現している。

総評
今回は4年生以上の参加という事で、非常にシニアなものとなりました。
全体的にコンセプチュアルな案が多かったですね。案というよりは、映画に対する考えをみんなで意見交換した感じでした。件のコンペでも多かったのですが、映画の虚構性や演技性に着目した案が多かったですね。
今回の案は2つに大別できると思います。すなわち映画と言う概念なのか、その空間なのか。私江塚を除く5名は全て映画の概念に触れていましたね。概念とは具体的に、映画が何から構成されているか、又は制作者の意図は何か、という事です。神田、増山案は住人が役者になる事が出来ると説き、戸井、渡辺hは視線、つまりカメラに着目し、渡辺rは映画がもたらす感情について触れていました。
つまりこの5名はそれぞれ別の製作セクションであると言えそうです。
 映画も建築もともにつくられたものである以上、このように分類出来る事は非常に示唆的であります。とくに住宅の場合、設計する際にはストーリーが重要になりますよね。これは設計意図というものです。つまり脚本(増山案が言うところの「ヌケ」)に相当します。それを成り立たせるために設計することになります。5名がそれぞれ別の要素を提案して一つの住宅を提案して行く事も出来そうだな、と思いました。
 こうなってくると建築もある意味虚構ではないですかね。設計意図と実際は必ず乖離する、という話をある社会学者が言ってましたし…

そこは各人の解釈に任せます。江塚